「ゼピロスの降りた島」

 

発行日 2016年(平成28年)15

著者 山上高人

発行者 田邉淑子

発行所 グリーンライフ

定価 2,500

 

モノクロ、79ページ

この作品は、瀬戸大橋ができて10年後、しまなみ海道が開通した直後の2000年(平成12年)に作ったものです。

瀬戸内は、しまなみ海道の開通で、3橋時代をむかえました。多くの夢が語られる中、このプロジェクトの成功は、ある面で、瀬戸大橋の見直しにかかっているとも言われています。中でも、橋の中央に位置して、橋脚の島となった与島の移り変わりは、大きな示唆に富んでいると考えられます。

与島は周囲4.3キロの小さな島です。瀬戸大橋ができるまでは、採石業と農業しかない、注目されることのない島でした。橋が架かるとレストランや展望台ができ、人が訪れ一気に活気付くようになりました。当初よりゼピロスが降りた島としてマスコミでも話題になり、その後も大いに豊饒の西風が吹くものと期待されました。そして10年がたちました。今再び新しい時代への夢がふくらむ中、かつて同じように活性化と繁栄を期待された島がどうなったか、私は、吹いた風の形跡を求め渡ってみました。

島の中央にインターチェンジがあって、空から舞い降りてくる感じである。降りるとそこは観光施設で、車で直接生活区域には入れない仕組みになっている。島をめぐるには、歩くしかない。周囲4キロあまりの小さな島だが、それでもゆっくり散策すれば1時間以上かかる。インターを降りたすぐそばには、ゲートボール用に作られたと思われる広場があり、片隅にプレハブ小屋が建っていた。どこも使っている様子はなく、雑草がびっしりと生い茂っていて、荒れ放題だった。

島に降り立ちすぐに分かったことは、この島を支配するのが沈黙だということである。あのピカートの「沈黙の世界」である。「もしもこの壁がただ1枚の石でできているのならば、それは沈黙の記念碑のようなもの、ただ単に記念碑のようなものに過ぎないであろう。しかし、現にそうなっているように、それは多くの小さな石から構築されていて、大地から上へと立ちのぼり、縦横に拡がって行くから、この石の壁は例えば沈黙の四肢のようなものだ。ここには沈黙が生きている。それは記念碑ではないのである。」

石を切り出し残った岩山が、橋脚となり橋を支える。これで大丈夫だろうかと思える不安で異様な光景である。その周囲は荒れ地となり、使えなくなったモーターボートや自動車などが放置されている。

与島は島全体が花崗岩で構成され、切り出される岩は「与島みかげ」と呼ばれて、大阪城築城に使用された良質なものである。しかし最近は石の減少も伴い石材業の衰退が目立つ。将来家業の石材業を継ぎたいと言うのは、与島中学校最後の卒業生となった男子1人だけとなっている。

「夢のような話はやっぱり夢じゃった。橋が架かると若者もUターンして来るというが、逆に島はさびれた。」「この島で細々と石の仕事を続けられれば、それでええんじゃ。」 時折うなりをあげる加工場の機械音を遮るように、高架橋を通過する列車のごう音が高く響き渡った。

与島は全島が石ででき、いたるところに切り立った石の壁が見られる。殺風景な島の風景は、隣の小与島とともにそのまま映画のロケ地にもなるという触れ込みだった。丁場跡には水がたまって池となっている所もあり、周囲には雑草が生い茂り、うら寂しい光景だ。

高齢で畑にも行けなくなった独り暮らしの老人が、自宅の庭に菜園作りをしている。若者がほとんどいなくなった与島。高齢化率は40%。住民の1人は、「1年に12軒は空き家になっている。早く手を打たねば家は朽ち、島を離れている若者が島に帰る機会が失われてしまう」と心配している。

若者が島に帰り、街にマイカー通勤しようと思っても、通勤料金が高くてままならない。橋が開通してから、救急車のほか消防車、ゴミ収集車も来るようになった。「生活が便利になった」との声が聞かれるのは確か。それでも島では、「橋が架かってよい面と悪い面が半々」や「悪い方が多い」「良い方が少し多いかな」などと夢の架け橋にしては評価が芳しくない。

 

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